★ Reports From Beijing... ★
今日は! 島谷@末廣ハウス(←末廣ハウスは、ソフトハウスやステーキ屋じゃなく
て、ボランティアルームです。)です。
私は、今月末から中国の北京で開催される、世界女性会議に参加するために、朝、5
時に自宅を出発して成田から北京へ、そして、北京から、NGOフォーラムの開催され
るハイロウに到着しました。
当初、この会議はすべて北京市内で開催される予定だったのですが、進歩的な女性達
が集って活発な論議が予想されることが懸念されたためか、特にNGOフォーラムの開
催地が北京からかなり離れた万里の長城に近いハイロウ県というところに移ってしま
ったことで、特にNGOフォーラムに参加する人には大きなハンディになってしまった
ように思います。
県というと日本の感覚では、市よりも大きいという気がしてしまいますが、実は逆で、
市よりも小さな町(もしくは村?)に相当するような人口や小さな地域のことを中国
では県と呼んでいるようです。
たとえば、こちらに来る前でも、たとえば会議の参加証のようなコンファメーション
・レターが、なかなか中国側の実行委員会から出ずに、ビザの取得がぎりぎりまでで
きなくなってしまったり、宿泊施設がかなり限定されてしまった(かなり高額の宿泊
費用で、これがNGOやNPOを対象にした国際会議だなんて、なんか変だな!?)ことな
どがあります。また、すでにここではハイロウ県に入るための交通規制のようなもの
まで敷かれているようで、許可の無い人は、町に入ることもできないという状況にも
なりつつあります。(さらに、会議に参加する人が空港についても、ハイロウに行く
ための交通手段がほとんどなかったりします。)
また、女性にとっても電子ネットワークによる情報が有効であると認識されつつある
現在、今回の会議に参加し、ネットワークを通じてコミュニケーションをはかったり
、会議の状況を速やかに情報発進しようとしてコンピュータを持ち込もうとしている
人達に対しても、持ち込み器材を1台までとされたり、それ以外のものの持ち込みも
制約が大変多くなっています。また、現地での物の入手もむずかしく、印刷をするた
めの紙を各自持ってくるようにだとか、あげくのはてにはトイレットペーパーもない
可能性が大きいので持って行った方がよいという話まで出てくる始末です。(悲惨!)
また、世界のいろいろな地域からたくさんの人が集まる今回、会議の標準5カ国語(
日本語は当然のことながら入っていませんが。)だけでなく、もっと多言語の環境で
ネットワークを利用できないかということも注目されていて、参加者の間でマルチリ
ンガル環境で、たとえば電子メールがそれぞれの国と地域の言語でやりとりできない
かとか、はやりのWorldWideWebの多言語環境のページがどこでも見えるようにするに
はどうしたらいいかなどもワークショップでデモやディスカスされることになるでし
ょう。(ちなみに私は基本的なネットワーク構築支援をサポートするためのスタッフ
としてできることはやってみようというところと、日本語や韓国語、中国語、ロシア
語、アラビア語などが見えるようなWWWビュワーの環境の構築を会議中にしてみよう
というところも、今回やってみたいことなんです。)
事前の準備として、多言語環境に関しては、可能になりそうなことについては詳しい
方のところにお邪魔して、お話を伺ったり、環境構築を支援していただいたりしたり
、電子メールやニュースをより各人の言語環境で簡単に利用できる仕組について特に
NGOフォーラムの中で、ネットワークインフラを行っているAPCというところのテクニ
カルメンバーと情報交換したりする中で、会議中に、そういう環境の実現を行おうと
いう方向で話が進んできました。
、、、という長い前置きはそろそろ堅苦しくなってきたので、実際に今日どんな感じ
でここまでたどり着いたかをレポートします。
まだ、出発前のあなた、参考までにどうぞ。(旅先の窮地は少ない方が、心臓には悪
くないですよ。)
まず、成田から出国するところで、持ち物検査でほとんどのものがひっかかってしま
いました。
なにしろ、たくさんの鞄に、ワークステーション用にフォーマットしてインストール
済のハードディスクや、マッキントッシュ用のハードディスク、変圧器、電源の延長
ケーブルから、ハブ、長いイーサーネットケーブルや、パソコン、モデム、プリンタ
ー、紙、各種SCSIケーブルなどが詰め込まれていたものですから、しかたがないとい
えば仕方ないですね。
でも、海外に今まで行ったことのない私としては、長いことつかまって調べられてい
たので、ちょっとショック。(たとえば、覚醒剤とか見つかった人のような、「やべ
ー」という感じで、冷や汗、脂汗たらたらでした。ヒクヒク。)
まぁ、これはどうにか切り抜けたのですが、以前から中国のようなところでは、特に
空港で荷物が盗まれることが多いので、盗まれるとこまるこういった器材は機内持ち
込みにしようとしたのですけど、持ち込み手荷物は1つか、あとは小さいものと言わ
れて、泣く泣く貨物室にあづけることになりました。
でも、乗る前に飛行機会社の人に、「貨物に入れても、北京でちゃんと受け取れます
か?無くなったりしませんか?」と聞いていたのに対して日本の航空会社の人は、「
最近はほとんど盗まれませんよ。何箇所か経由している経路なら別ですが、北京は直
行便だから、大丈夫ですよ。」と言われていたことは、向こうについてみると本当で
、安心しました。北京空港では、各便の荷物が時間はかかりますが全部出てくるまで
、受け取りのコーナーは、ちゃんと各便毎に別れていて混乱もないし、だから、これ
から行く人は、日本の航空会社で、直行便で来るのであれば、荷物室にあづけてもけ
っこう大丈夫なので、ここはあづけてみましょう。また、特にエコノミークラスの座
席だと持ち込み荷物の起き場所がないので、困るし、足元とかに置くと、4時間近く
せまっくるしくて疲れちゃうので、持ち込み手荷物は少なくして乗るといいでしょう。
で、日本からは隣の中国ですが、結構この4時間は辛い。じっとすわってなくちゃい
けないので、けっこうお尻は痛くなっちゃいます。あと、北京空港のトイレは場所が
離れていたりして、荷物をもったまま行くのは大変なので着陸直前に機内で行ってお
くことをお進めします。
北京空港に着陸すると、滑走路がかなり草ぼうぼうのでこぼこした様子で、けっこう
がたがたします。
着陸直前には、沢山の団地や高層住宅などが飛行場の手前に林立していたのは、ちょ
っと予想外でした。
(結構、近代都市だったんですね。成田の方が山奥だったかな?)
飛行機から降りると、そこは東京より5、6度も気温の低い涼しげな北京はそこにあ
ります。
(北海道のような気候でした。涼しくて爽やか、気持ちよいですよ。)
さて、言葉のわからない中国は、空港から出るものちょっとわかりずらい。まず、タ
ラップから降りてくると、最初にやることは、自己申告の健康診断書を書くことから
始めます。漢字がわかる日本人でも、特に最近はワープロ症候群なのか、中国の漢字
で書かれていることがどういうことを書けという意味なのか、よくわからないで困っ
てしまいました。で、周りにいる中国人の空港職員に聞いても結構そっけなくて、記
載例とかないんですよ、これが。(それに比べると、日本の区役所とかって、記載例
とか沢山あって、そういう意味では最近のお役所もがんばってますね。評価を新たに
せねば、、、)
ま、この申告書は、特に自分が病気持ちではないということさえわかえばそれだけで
いいみたいで、
けっこうさくっと、通してくれました。
次は、入国審査。パスポートとビザがあればいいのかなぁと思って通ろうと思ったら
ストップ!
なにやら、自分のビザがなんだとか、パスポートの記載時効を再度記入しないといけ
ないらしい。記入を始めてみると、ビザの種別のところには、沢山の中国語の分類と
、その英語版がずらり。
英語だって、I'm sorry I'm not good at Englishで、肝心な単語の意味がぜ〜んぜ
〜んわかりましぇんの私はどう考えてもわからないのでそこはブランクにして窓口に
行き、自分のビザがどの種類かわからないということをいっていたら、ふと目の前に
は、中国語で、どうも見たことのある文字列が目に入ってきました。
’95 非政府組糸只女ヨ女・・・
(中国の漢字が難しくて書けないので断念しますが)
それって、世界女性会議の中国語だったのです。で、係にこれに参加するためにハイ
ロウに行くのですといったら、周りの職員がどどっと集まってきてざわざわしはじめ
て、その看板を指して、コレニイクノカ?という感じでいろいろと聞かれたので、(
まぁ、ボランティアで働くスタッフだから、仕事で来ていることになるのかもしれな
いから、いいやっと)、workできましたといったら、さくっと通してくれました。(
これは、意外だー)
そのつぎは、荷物の受け取り。これは、何十分もかかるので、あまりあせらず、気長
に待とう。で、たくさんの荷物は再び戻ってきたので、カーゴに乗せようと思って見
つけてきても、中国の人が駄目って言うんです。しかたなく、自分でキャリアに縛り
つけてじたばたしながらX検査へ。で、そのでっかい荷物をまた解くのかと落胆して
いたら、係の職員が手をひらひらさせて、どうも「ここはいいから次へ行け」といっ
ているような仕草に見えたので、ノー検査で通ってしまった。拍子抜けしたのと同時
に、では一体に成田のあれはなんだったの?という頭がごちゃごちゃしながら、出口
をさらっと通ってしまった。
でも、本当は、出口はさらっと通ってはいけないかったのだ。
(大きく後悔)
どうしてかというと、迎えに出ている人達がどどーっと、A4程の紙に、だれだれの迎
えとか書いたプラカードをいっぱい差し出しているから、これをじっくり見ないと、
いったん出口を出てしまうと荷物で身動きがとれないのと同時に、たくさんのプラカ
ードをよくチャンスがなくなってしまって、それからまだ見ぬ人を探そうとすると非
常に大変なのだ。なにしろ北京空港は空港の中は、人が少なくても、出口のところで
は出迎えのひとなどでごったがえしているからなのです。
ここで、やはり何十分も出迎えに助っとで来てくれる人に巡り会えなかった。(こう
なると、中国では誰一人も知り合いがいないので、本当に心細くないます。)
そのうちに、ふと「寺村綾子」の看板を発見。いつも旧姓の「島谷綾子」で通してき
た私には新姓あまりなじみのない名前なだけに、気付くのも遅かったのでしょうね。
女の人には、いつもこうして2つの名前がついて回るので、この2つの名前の使い分
けは難しいですね。
こうして、どうにか中国にたどり着いたのでした。
まずはこれまで。
ではでは。
北京の世界女性会議にやってきたshimatanレポート No.1 ー 95.8.23
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