★ Reports From Beijing... ★
今日は、島谷です。
世界女性会議関連レポート第17弾です。
9月8日(金)。ハイロウで行われていたNGO Forumの最後の日が来ました。その日
の晩には、ビジネスセンターに設置されているインターネットに接続しているAPCの
サーバーはシャットダウンして、分解して箱詰めし、ネットワーク器材や、マックや
HPなどのPCも全て片付けられて、完全に撤退します。
そして、サーバーは、その日の内に車で北京に運び、国連のビルに搬入し、その日の
内にできるだけのセットアップ作業に入る、、、というストーリーをAPCのスタッフ
は考えました。
北京の4人組みのスタッフは、ハイロウのサイトのスムーズに進むか、気をもみます
。北京組にできることといえば、ハイロウからものが運ばれてきた時に、いかに早く
搬入ができるか、また、セットアップや国連のインターネット・サイトの中で(つま
り、ハイロウの時とは違って、異なるドメイン名を持つ国連のサイトの中に、それと
はまた違った独自のドメイン名を持つAPCのサーバーが位置する、、、というちょっ
とややこしい関係)、再立ち上げと、今までと同じようなサービスを提供できる環境
を8、9日の2日間の内にやりおえなければなりません。そのうちの9日は、APCの
全員が休息するために、完全にオフになっているので、実質1日間というスケジュー
ルです。
まぁ、大抵は一日もあればなんとかなるのでしょうが、問題は、ハイロウからマシン
を引き上げてきても、ハイロウから引き上げてくるAPCのスタッフはほとんどがまだ
国連のパスを入手できないでいるので、もしかすると、この4人(そのうち、テッキ
ーは、2人だけ)だけで、その作業を簡潔させないといけないという、かなりきびし
い状況です。
私達は、その日も、たくさんの人をサポートする時間をぬって、はやめに食事をとっ
て、ハイロウからの器材の搬入に備えることにしました。
夜8時頃に、テッキーのボス(というかお母さんとも言える)のモニカがマイクロバ
スで、到着しました。彼女は帰国日時が早いので、北京には来れないと言っていたの
ですが、パスがとれたようで、まだパスが取れない他のメンバーに代わって、来てく
れたのでした。
マイクロバスの中を見ると、当然のことながら沢山の器材が、山積みになっていて、
さぁて、これをどうやって、ビルの中に運ぼうか思案します。器材にしろ、人間にし
ろ、中に入るためには、X線検査のところを全て通過させなければなりません。Infor
mation Deskの所にいって、何かキャリアかなにかごろごろ転がせる台車が借りられ
ないか聞きにいって、清掃の人が使っている台車をどうにか貸してもらうことができ
ました。でも、国連のセキュリティの人からは一体何をやるのかとか、チェックされ
てしまいました。
借りた台車で次々に荷物を乗せてビルの中に運び入れます。それをセキュリティ・ゲ
ートのところで、一個一個ベルトコンベアにのせて、X線検査を受けるのですが、は
やりネットワークの器材などが多いので、次々に引っかかってしまって、その度にダ
ンボールの中味をあげて、説明をしないと通してもらえません。そういう搬入作業を
何度か繰り返していると、
ビルの入り口のドアが枠ごと倒れていて、そのまわりには、ドアのガラスがこ
なごなに割れて、
セキュリティの人や、COC(Chinese Organization Committie)の人などが
大勢集まって、なんだか、
ちょっと異様な雰囲気です。私は割れたガラスをみて、とっさに、何か狙
撃でもあったんだろうか
、、、、と思ってけっこうひやっとしたのですが、どうもそうではないら
しく、
行ってみると、ドアを閉めようとしたら偶然ドアごとはずれて倒れてしま
った、、、
ようです。
応急措置をして、どうにかドアを取り付けたりしていました。こんな大きな近代的な
ビルでも、ドアがはずれたりするんですね。昼間ではなかったので、通行する人など
に怪我はなかったことは幸いです。
でも、けっこう夜遅くに起こった事件だったので、他にこんなことが起こったことを
知っている人はほとんどいないでしょうね、きっと。フフフ。
さてさて、こういうして運びこんだ器材のうち、サーバーである、SUN SPARC Statio
n20と、SUN SPARC Station5の2台は、10-56というマックなどが置いてあって今サー
ビスをしている部屋には置き場所がないので、設置できません。他の置き場所を探し
ていたところ、国連のサーバーの管理者のChapman氏が、国連のWWWやgopherなどを動
かしているサーバーの横の机に置いていいよと提案してくれて、国連のサーバーと同
じ部屋に置かせてもらうことができました。部屋も使っていいと言われ、またChapma
n氏のすぐ横で仕事できるなんて、ちょっとラッキーだな!ちょうどそこには2台の
サーバーだけは置く場所があって、すぐそばに10baseTのHUBなどもあって、とてもス
タッフは喜びました。サーバーには外付けのディスクやテープ装置がSCSIケーブルで
接続されて、いざシステムを上げようとしたのですが、gopherやWWW、Newsのサーバ
ーにしていたSS5だけがどうしても正常にbootできないで、コマンドを受け付けなく
なってしまいました。こりゃぁ、えらいこっちゃ!というわけで、次の日の朝3時半
くらいまでがんばったのですが、方策なくなってしまって、テッキーの2人とモニカ
の3人は仕方がないが、会議の最後までは、SS201台にすべてのサーバーの役割をさ
せて会議終了までの一週間をしのごうということに結論を出しました。
それから、私たちはくらくらする頭で、タクシーを捕まえ、ホテルに帰るなり、ベッ
ドに直行です。
次の日の9日(土)は、北京組の4人プラス、モニカは、ハイロウに朝はやく戻りま
した。全員がオフの日に、『万里の長城』にみんなで行こうねと約束していたのです
。ハイロウのサイトは既に昨日終了しているので、町はなんとなくけだるい感じです
。帰国しようとするNGO Forumの人達がみんながいたナンヤン・アパートメントから
大きな荷物を抱えて帰る姿がみられました。私たちはそこで、ラッキーにも北京飯店
のバスを借りることができて、それにのって『万里の長城』(みんなはGREAT WALLと
呼んでいます。)に出発です。NGO Forumも無事成功に終わったということで、疲れ
たスタッフの顔にも、満足感が浸ります。
『万里の長城』は、ハイロウから車で30分程のところで、ふもとの駐車場から、長
城までは歩いて昇コースと、ロープーウェイであがる方法があります。
私とザンビアのレジーナは、歩いて階段を登っていくコースを選択して、日頃運動不
足の体に鞭打って石の階段を20段程あがっては、階段の横にある石の椅子にすわっ
てしばらく休み、それからまた登り始める、、、というスタイルで、40分近くかか
って長城の入り口にたどり着きました。(あー、疲れたよー)長城の中に入って見て
びっくりしたのは、長城自体が山の峰にそうように、かなりの勾配で大きくうねって
いて、その勾配に沿う形で左右の長城の壁の間に石のブロックの階段がずーっと続い
ているのです。
長城の中も、ずっと、階段だったのかーーーー。
長く大きな階段が、ずっと続いています。(圧巻ですね。
これは。)
そして、長城の回りには、緑の山が広がっています。
ほぼ、一定の間隔をおいて、砦のようなブロックがあります。そういったいくつかの
砦を超えていくと、麓から長城までつなぐロープーウェイがあって、帰りはそれにの
って下りてきました。麓には、土産物を売る出店が並んでいます。よく買っていくも
のは、キルティングの大きなベッドカバーのようなものだとか、刺繍の入ったテーブ
ルクロスなどが多いようですね。あと、ちょっと変わったところでは、石の硯と筆と
墨という組み合わせのセットとか。あと、印鑑の台を買って、その場で彫ってもらう
なんていうこともあるみたいです。
さて、お昼を食べて、バスでハイロウに戻ります。夕方には、もしかすると、NGO Fo
rumの時にボランティアスタッフとして参加した人達がCOCに招待されて何かパーティ
ーがあるかもしれないという噂が入ります。アフリカン・テントであるらしいという
話しなので、その時間まで、ハイロウの露店が並ぶ市場に何かお土産がないか探しに
いきます。市場には、ちょうどNGO Forumが終ったので、帰国を前にしてお土産を探
す人達でごった返していました。お店では、中国人の人が値段を電卓に打ってみせて
くれます。それでは高いということになると、自分で希望する金額を電卓に入れて、
値切るわけですが、さてさて、希望する値段になりますことやら。
それから、ぷらぷらとアフリカン・テントのある方向に歩いていきましたが、看板や
ポスター等既にほとんどのものが片付けられてしまっていて、夕方の会場になってい
た中学校の校庭は、ひっくりかえったパラソルが、時折吹く強い風で、ひっくりかえ
っていたりします。視界に入る人達はほとんどが会場の片付けをする地元の人達でゲ
ートを運んだりしていて、ほとんど人はいません。
結局、探し回っても私たちのパーティーはないようでした。デマだったのかな。まぁ
、こういうことはここにきて沢山あったので、特に失意もなく、日の暮れてきたハイ
ロウの町を散策します。
最初にきたときは、いったいどうなることかわからず、とても参ってしまったときも
ありましたが、こうやって、20日弱たってみると、ここもよいところだったなぁと
思い起こされます。
日暮れの町には、フォーラムなどなかったかのように、地元の人達が大勢自転車にの
ったりして、本当の意味で、この町そのものの活気が帰ってきたのかもしれません。
今は、車の乗り入れ規制もなく、車の自由に道路を走ってゆきます。道には、たくさ
んの柳がたれています。大抵の道の両脇には、柳の並木が作られていて、とても涼し
げです。ちょっと町をはずれるところからは、この柳の街道とそのわきにトウモロコ
シ畑が広がる、、、そんな町でした。
そうそう、今回のNGO Forumは、かなり成功したのではないかと言われています。日
本からWorkshop等をやったグループなども、しっかりと取り組んでいてよかった、活
発に活動していた、、、という話しを、他の国の人からも聞きます。
今までの国際会議では、あまりNGOの取り組みや、活動できる場がなかったそうです
が、今回は世界各国からたくさんのNGOの人達(それも、女性が多かったことはもち
ろんですが)が集まって、とても活気のあるフォーラムになったように思います。こ
れが、北京での政府間会議の方にも、よい影響を及ぼせるといいですね。
その日は、タクシーで北京に戻り、次の日から、今までとおり、国連のビルの中での
サービスを開始しました。11日(月)、12日(火)あたりになると、今までパス
が取れなかったスタッフ達にも、ほとんどパスが交付され、一緒に仕事ができるよう
になりました。途中で帰ってしまったスタッフもいますが、30人程のスタッフが北
京で仕事できるようになったので、今週になってからは、ユーザサポートのグループ
やローテーションを組んだりして、少しは観光や買い物に行く時間もとれるようにな
り、天安門広場や、Forviden City(←スペルが間違っているかもしれません。)な
どに行く人もいるようです。
残念なことに、テッキー・チームの中でUNIX Server関連をやるスタッフが、今はチ
ュニジアから来ているサナと私だけになってしまったので、我々2人はChapman氏の
オフィスに大抵は朝から晩まで詰めることになって、相変わらずはまってます。
ここのサイトも今週の金曜日、15日には、幕を閉じます。今は、今回の会議で課題
になっている沢山の項目について、各国の代表団の人達や、NGOの人達が盛んにこの
ビルのあらゆるところで、熱戦を繰り広げているといっていいでしょう。また、あち
こちのロビーや廊下などで、アンオフィシャルな形で取材やロビーイングなどが個々
に行われていて、人がごたがえしています。話しに聞くところでは、難題の課題をも
つ分科会などは、夜中まで詰めが行われているそうです。24時間ルールがあるので
、かなりきびしい問題もあって、会議中に解決できないことも多いでしょう。これか
ら、考えなければならないような新しい問題も出てきています。セクシャル・オリエ
ンテーションなどがそうかもしれませんし、職業として売買身を行う女性の権利など
もそれに当たるかもしれません。
昨日は、1階から2階にあがる2機のエスカレータに挟まれた広い踊り場の階段で、
2、300人もの南米の女性達が、A4ほどの大きさの紙を各人がもって、デモンスト
レーションをしていました。シュプレヒコールともいうのでしょうか。およそ、15
分程続いたのですが、何かスローガンの言葉を口にしています。私は、彼女達が、何
を言っているのか、何を求めているのかが知りたくてマシン室を抜け出して、踊り場
に急ぎました。なにか、メッセージを繰り返していて、まわりの人も盛んに拍手をし
ているのですが、あいにく、紙に書いてあるメッセージが、スペイン語らしくて、私
にはその4つほどの単語が何を意味しているのかがわかりません。まわりで拍手を送
っている人達に、彼女達が何を求めているのか、そして、あのプラカードには何が書
かれているのかを聞いたのですが、アメリカに対して、南米の国々の経済やリソース
の平等を求めているようです。
おそらく、階段の上にはUSの政府関係の大臣か要人が来ているのでしょう。
そのメッセージは、何度も何度も、繰り返されているのですが、聞いていると、何だ
か楽しげな歌のようでもあり、歓声のようにも聞こえます。もしかすると、彼女達の
求めている経済やリソースの平等に関して、何か宣言文に盛り込まれたのかもしれま
せん。彼女達のほとんどはNGOの人達でしょう。そういったNGOの人達のロビーイング
が光る、世界女性会議です。
ではでは。
世界女性会議にやってきたshimatanレポート No.17− 95.9.14
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