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オンライン学習会「介護」
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3. 清水さん 第1回講義
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1995 年、北京での女性会議でインドの方から、「どうして親の老後が日本では問題になるの? 子供が面倒をみないの?」と質問された人がいます。私が自分のこととして他の国の現状と日本の国の違いを考える必要性を認識したのは、この時です。それまですでに、 10 年にわたり、山形に住む実父母の遠隔介護を5人の子供の1人として、当たり前のように、引き受けていたという個人的理由もありました。 なぜ、家族、特に女が自分で引き受けてしまうのか。ほんとうに、それが介護する人、される人双方の幸せな人生の時間なのか、もし他の幸せな介護があるとしたら、それを選んでもいいはずだろう、でも介護者が他の方策を選ぶときも、周囲のみんなからの反応で少しでも、自分は「親不孝」という責めを負うとしたら、それもまた、介護の幸せではないのではないか。 こんな例があります。A子さんは夫( 50 歳で死去)に先だたれて、パーキンソン病の義父と脳梗塞後遺症で惚け進行中の義母の三人暮らしをすることになりました。義父が施設入りに反対でした。ちょうどその頃、 30 年近く勤めていたので、彼女に昇格の話がきたのです。ですが、彼女はことわりました。これ以上の職務の負担は自分も共倒れになる怖れがあったといいます。彼女は義父母と何回も話し合い、施設をいやがるなら、自分はこの家を出ることも許されてれているのだから、とまで言って福祉の係りの援助を得て、特別養護老人ホームに入居してもらいました。その後8年目に義母、9年目に義父を見送りましたが、毎週の休日は欠かさずに見舞いました。いま、義父母の後整理をしながら、自分の老後目前、自分の一生は地方公務員であっても、「家族」への奉仕だったと言っています。 少し前の話ですから、過去の例になりますが、脇でみていても「立派な嫁」をやり抜いた見本でした。 ですが、昇格を断わったことで、給料も退職金も年金もいくらか違ってしまうことになります。そこには女と家族役割という性別役割の認識からの葛藤と、自分自身の幸福追求権と労働権という基本的人権とのかねあい、自己決定といいながら、真の自由な自己決定権の行使といえるのか、などの疑問は残ると私は思うのでした。自己決定のように見えながら、その実はこの社会での「水路づけ」されたことからなかなか抜けられないことが多い弱さをもつのが、まだまだ私たちの現実だと思いました。 福祉は文化に/その道筋─家族の変化と公的福祉の不在の顕在化─ 私たちは今、家父長制家族と性別分業を基礎に、産業経済社会(市場、工業社会)を生きています。そこで、高齢者の介護がなぜ問題化したかを考えてみましょう。 ちょっと古い話になりますが、第二次世界大戦後、日本は「経済の豊かさ」を国家的目標にしてきました。このため、生来の土地を離れ、労働効率のいい大都会に出て、自分の新しい家族をつくる核家族が増えました。経済成長に伴い生活水準が上がり、高等教育も普及。ますます経済成長のためということを錦の御旗にしたのです。 1960 年代になると、この家族の変化、特に「家族機能の変化、扶養力の減少」の現実から、公的福祉の政策の不在が、漸く政策としても認識されるようになってきました。それまでは、介護は「家事」の一部ぐらいとしてしか認識されてこなかったのでした。その程度の認識で済ませて、政策や文化の課題にしないでもよかったのは、「家事は放っておいても女どもが適当に処理する」という程度の政治家(決定権はおじさんが持つ)を私たちの政府が選んでいたということもあります。 加えて医療の発達も進み、寿命の大幅の延び(これ自体は喜ばしいこと)によって、寝たきりや障害の増加が目立ち始めました。そこで、 63 年「老人福祉法」が制定され、高齢者家族の家事/介護サービス/ホームヘルパー等が政策として社会化されました。 73 年、この年は「福祉元年」(この言葉覚えている方いませんか?)といわれたほどで、「老人福祉法」改正が年金の改革と平行して行われ、社会保障予算が増加されました。 ところが、福祉2年はありませんでした。 73 年秋のオイルショックで経済成長が変化、社会保障予算の拡充に歯止めがかかりました。そこで、『日本型福祉』というかけ声を考えたのです(おじさんたちはおりこうさんです)。
先に高齢社会を迎えたヨーロッパ型の「高福祉高負担」を否定的に捉え、個人と家族の自助努力と近隣地域の連帯によって介護を支えることのできる、「含み資産」が日本にある、という考え方です。公的福祉支出を抑えるために、家族介護が奨励強制されるということです。嫁、娘など女性の役割期待で公サービス節約というわけです。 施設中心主義から、在宅介護への転換が強調されるようになりました。障害のヨーロッパ型ノーマライゼーション思想と閉鎖施設批判がおこなわれ、在宅介護のほうがより人間的だとゆがめられ、公的仕組みの交代が図られたのです(ここで気がつくのは、介護が血縁による女性の手によることの当然視です)。 80 年代に入り、日本型福祉論の本格的展開が行われ、 81 年臨時行政調査会は医療福祉財政負担減に力点を置き、厚生省も国庫負担抑制に方向転換しました。簡単にその特徴はと言いますと、福祉の医療転化と、「箱モノ」整備です。 その結果、「社会的入院」の増加となり、福祉費節減のつけが医療と家族にまわったのです。 家族が介護基盤を失っているにもかかわらず、政府や厚生省は「日本型福祉社会」の幻想にしがみつき、介護は家族の責任だとし、家族もしくは医療による代替政策で解決できると考えたのです。そうして福祉支出を抑制し、公的サービス拡充を怠りました。 しかし 80 年代半ば、家族(女)に大きな負担と犠牲を強いる「日本型福祉」政策にも限界が見えてきました。介護を負担した一部の人たちは、「介護地獄」に陥ったのです。 そこで、民間サービス(営利、民活路線)が導入されました。 (1)シルバー産業の育成 これぞ将来性あるビジネスだというわけで、シルバーサービス振興会認定制まで決められました。しかしこれは汚職事件でのちに( 97 年)撤廃されました。お金のある人だけがサービスを買える仕組みかと思っていたら、いつのまにやら高齢者から搾取する仕組みになりかけて、あまりのひどさに終わったということでしょう。 (2)福祉公社の育成(武蔵野市、調布市、ゆうあい福祉サービスなど) (3)ボランティア活動への期待(善意はいいが、あからさまな公費抑制に手をかすのは?) また、この陰で「生活保護費削減」が行われ、申請拒否、打ち切りで自殺心中の事故が出ています。自治体の現場の職員も措置費抑制で、板挟みとなり苦労しました。困った人がより困ることになったのです。 その結果は、
です。このことは、改めて別の方が詳しい内容の話をされると思います。 難しい言葉や内容で申し訳ないのですが、今日と今後を語るには、過去(歴史)を一通りみないと、現在がわからないのでごめんなさい。
#1のキーワード 「私たちの生き方(産業社会の核家族)は必然的に福祉文化を伴わざるを得ない。介護はだれにとっても自分の問題である」
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塚田:
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清水さん、講義ありがとうございました。福祉政策という観点から、介護についてお話ししていただきました。医療という枠組みの中で働いている私も、その社会政策の歴史という広い観点から、なかなか学ぶ機会がありません。ちょっと、広い話になるかもしれませんが、可能であれば、日本型福祉の理解を深めるために、福祉先進国であったヨーロッパなどの、介護に関する福祉政策とその推移について、後ほどコメントをお願いします。
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Dさん:
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清水さんの第 1 回目の講義、興味深く読ませて頂きました。いろいろあるのですが、『日本型福祉』というのは、これって日本人の心情に訴える実に効果的な政策で、上手いこと考えたものだと思って。 確かに、戦前は「親に育ててもらったのだから、老後の親の面倒は子供が看る」というのが当然だったようなので、この政策が受け入れられる素養はあったのだと思います。私の母の世代は、子沢山で貧しかったせいもあると思いますが、嫁に行くまでは親に稼ぎを渡し、幼い弟妹まで養っていたくらいですから。欧米で 18 歳になったら、「親の責任は果たした」と放り出されて出資関係がなくなるのとは、随分違いますよね。(そうなったのがいつ頃の時代からなのかは興味のあるところですが)香港も社会保障が薄いせいか、親の面倒は子供が看るところがあります。ただし、安い外国人労働者(フィリピン人等)に一切の世話を委ねてしまったり、公的な施設に置き去りにして海外に移民してしまったりする ケースもありますが… しかし、この『日本型福祉』、「お金を払って他人に家事をしてもらうくらいなら、自分でやる」という小市民的なところがあって、何となく憎めないですね〜。次回も楽しみにしています。 |
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Bさん:
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民間サービスは、うまく市場論理が働けば、よりよいサービスをリーズナブルな価格で提供しようとする企業や団体が現れないでしょうか。 これからの消費者は、環境問題などを背景に、モノをみだりに買わずに、品質のよいものを大事に使うようになり、(なにしろ、モノを捨てるのにお金がかかる時代がきている)そのかわりに必要なサービスにはお金を積極的に払うようになっていくと思います。それにつれて、よいサービスを提供する企業が増えてくれることを期待します。 例えば、わが家では夕食材料の宅配を利用していますが、業者によっては、たぶんお年寄りを対象にしていると思われる調理済の夕食メニュー(もりつけまで配慮している)を出しています。これは、十分ビジネスになるから始めたことでしょう。 |
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塚田:
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そうですね。良いサービスを提供してくれる企業だけではなく、弱者である患者や介護者を食い物にする企業も少なくありません。ここでも賢明な消費者として、選択する知識を養っておく必要があります。 |
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Bさん:
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それから、経済的に困難なケースについては当然税金が使われるべきですが、自助努力で将来の介護に備えることができることが明確であれば、若い世代は自分で計画をたて、将来の漠然とした不安を解消することができます。この考え方は、あまりに理想論でしょうか。 |
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塚田:
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決して、理想論ではなく、これから、仮に介護保険が導入されても、適切な公的サービスをうけられるとは限りません。予定された出産と違って、病気は突然発症するものです。介護はいつ自分の問題として降りかかってくるかわかりません。そして、自分が要介護者にならないために、自己健康管理(もちろん旦那も)も今から、必要ですね。 この勉強会では、社会の枠組みの中で、どの様に自分が対応して行くべきか、突っ込んだ議論が出来ればと思います。 |
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清水:
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初めてのことで試行錯誤をしながらですので、いろいろご批判があると思います。私の力量不足で応じきれない場合は、吉岡ゆう子さんや塚田さんにお願いすることになると思いますので、よろしくお付き合いください。 Bさんから「民間ビジネスはリーズナブルでは?」というご質問を頂いています。市場原理の導入を否定的に捉えた私の発言に対する、ごく当然に湧く疑問でしょう。先を急いだため、乱暴な表現をしてしまいました。私の言いたかった内容は次のことでした。 自由な競争による、多様化、差別化などのオープンな市場化のまえに、「政府の認可性という閉鎖的な利権争いに陥って撤廃された、シルバーサービス振興会」的な方向への批判をしたつもりでした。言葉不足でわかりにくかったことをお詫びします。 今後、シルバービジネスはどんどん広がるでしょう。そのこと自体はもう避けられない流れだと私も感じています。女性が家庭のなかで、無償でしていた仕事が社会に出ると、はっきりと有償労働と化けることは、むしろ女性の労働の評価につながり、シャドウワークがシャドウでなくなり、女性にはいいことだと思います。 ただそれには、平行して家族役割と社会役割がオルタナティブ(相互交換可能性)である必要があります。そうでないので「男は仕事、女は家庭と仕事」の過重な負担になる危険があり、現に一部の女性がこの負担に泣いています。今は過渡期ですから、さまざまな予想外のことも遭遇する人が出るのだと思います。が、その個人にとっては「今が人生」ですから、混乱も起きるのでしょう。どんな経験も声を上げて、より良い生き方に繋げて行きたいものだと私は思っています。 それと、過渡期ですし変化が速いので、「貧しい老女」がいることです。ビジネスでは、経済的に取り残されるのは、女性なのだということを私は豊かな女性にも忘れてほしくないと思うものです。 |
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Dさん:
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介護と遺産相続に興味があります(笑)。 私は、朝日新聞の「人生相談」のコーナーが好きで、結構読んでいます。 先日、夫に先立たれた女性が、その後も義母の介護を一手に引き受けているのに、義母の死後、相続権がないという理由で遺産を一切もらえないのではないかというのがありました。その回答に、存命中に毎月介護料をもらい、生前相続のようにすると良いと書かれてありました。ただし、清水さんのおっしゃるように、資産がなく、介護料を払えない要介護者には、適用できないでしょうが。 トリッキーですが、ホームヘルパーに登録して自分の親の介護に当たるという方法もありますよね。もちろん、年収ダウンは避けられませんが、介護によって報酬を得ているという心構えだけでも随分違うような気がします。少なくとも介護に関わる人たちとのネットワークができ、家庭内での閉塞感はなくなると思うし。親の介護のための会社を設立すれば、経費を計上できるし、節税もできて、金銭的な負担はぐっと減るかも知れませんね。 あるホームページで、生活に困っているわけではないが働きたいという 50 代の女性に、ホームヘルパーの職を紹介していました。要介護者は 70 代、 80 代のお年寄りが多いので、 20 代の女性より 50 代の女性の方が話も合うし、向いているとのことです。最近は農家の嫁も、家事や農作業をする代わりに月給をもらうケースも増えているようなので、家庭内でも独立採算制を取る方向に進んでいるのでしょうか。 |
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Bさん:
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民間のシルバービジネスについてのご説明ありがとうございました。家族役割と社会役割がオルタナティブである必要がある、ということの難しさを実感しています。 介護とは少しはなれますが、わが家の例でいうと、夕食材料の宅配は利用していますが、思いついてから実行するまでには長くかかりました。掃除等のサービスはまだ頼む決断がつきません。たぶん、夫がまず反対するでしょうし、親にも批判されると思う。 平日フルタイムで働いている場合、どうしても休日の半日程度かけて掃除をするわけですが、細かいところまではいきとどきません。本当は、月1度くらい業者にやってもらうと助かるのですけれど。おそうじサービスのチラシが来ると、一応とっておきます。 話がそれましたが、要は、家事にお金を払って業者にやってもらうことには、まだまだ抵抗がなくならないのでは、という懸念でした。 |
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Last updated on 17 September 2001 by Michiko Takeda