オンライン学習会「介護」

 

 

5. 清水さん 第3回講義

<シルバービジネスについて>
<家族と介護の実態(その2)>

 

スポンタナスな学習こそが、学習と考えている私には、素晴らしい学習(ぽんぽんと疑問が出て、誰かがそれに応じる)が進んでいると、嬉しくってアレヨアレヨと、眺めていて自分の出番を忘れそうになってしまいました。

<シルバービジネスについて>

1.シルバービジネスに助成制度があるといいね、に同感です。

そのことを軌道に乗せようとして失敗したのが、第一回に触れた「シルバーサービス振興認定制」だったのですが、撤廃されたあと、新たな取り組みは聞いていません。老人ホームを例にとれば、公的な施設に対して、私的なホームがたくさんつくられていますが、「値段」と「後の倒産、追い出され」「終身の介護保障」の三つが大問題になっていることは、ジャーナリズムでも時折問題にしていることで、衆知のことだと思います。

 私立のホームを買える(後の介護も)余裕ある一部の層と、社会的生活の困難な層への対策は一応用意されているのでしょうが(それでも落ちこぼれることがある)、数として最も多く、長いあいだの国への貢献たかく、税金もしっかり払っている中間市民層の老後対策が、不在なのです。これが「介護保険制度」で、今後の公正で効果ある運営が待たれていることです。中間層のために、やっとできたといえるでしょう(日進月歩ですから、いまはただ公正な運営を願うだけですが)。

 たとえば、オーストラリアでは、「私立の施設にも助成金」がでます。日本では目下のところ、私立の老人ホームに政府助成金がでる福祉政策がありません。福祉法人が公的な支援を受けるのは、施設をつくる(容れ物)ときだけです。できたホームの経営は福祉法人が自己責任ですることになっています。

 今後ホームは「公か私か」の二者選択でなく、市民の要望で政策を選んでいくことができていくといいと思います(民主主義の国ですから、私は絶望していません)。いま現在ないものも、必要性を感じたら早めにどんどん要求していきましょう。

2.看護と介護

 私は保健のプロではないのですが、女の人生の体験から実例を一つ上げておきます。痴ほうを例にとると、人はいきなり「痴ほう老人」となりません。アルツハイマーという病気は、病気ですから医療分野での看護の対象になるでしょうから、今はおいておきます。

 B子さんは 90 歳で物忘れがひどいのですが、なにもわからない(見当識のない)痴ほう老人とは明らかに違います。自分がいまどこにいるか、なぜケアハウスで暮らすようになったか(夫が死亡、一人になったため)など十分承知しています。ただ、物忘れがひどくなったのです。自分が朝御飯を食べたか、誰となにを話したか、このりんごは誰がくれたか、昨日どこに行ったか、夕べお風呂に入ったか、など忘れるのです。でも、訪問者があると、ていねいに応対しお茶を入れ、会話も相手に合わせてはずみます。彼女のところに見舞いに行ったある人は、以前よりも陽気にお喋りしていたから惚けが治ったと驚いたりしました。5年ぶりに会った孫も「おばあちゃんは全然変わらない」と言いました。

 彼女は痴ほう老人といわれてもしかたがないのですが、物忘れが始まってから「 10 年」経ちました。惚けは急に痴ほう老人となったのではありません。この 10 年2回入院手術をしました。たしかに入院手術の間に、物忘れが進みました。「まだら惚け」という一部鮮明、一部惚けをくり返したり、昨日忘れたことが翌日覚えていたり、感情表現も正常だったり無視したりと、まったく健常ではないかもしれません。もっともっと時間をかけると、少しずつ少しずつ物忘れが進み、いずれわが子を見て「あなたさまはどなたで?」となるかもしれないのです。

 つまり、老いは人生という時間を生きている人間の「生の一部」、赤ちゃんにも共通する自立不能期なのですが、看てくれる「親」がいないのです。介護と看護がオルタナティブであって、福祉文化が深まるのではないかと思うのです。前に触れたように、核家族の末期は「扶養する家族」もいなくなってひとりぼっちなので、社会福祉が必要となるのです(やれる家族が家族で看ることを否定しているのではありません)。

<家族と介護の実態(その2)>

 マクロの点は塚田さんが書いて下さったり(後述)、前回の統計で読んでいただいたので、個々の例(娘、妻、嫁の役割)から考えてみたいと思います。私の経験がすべてだと言うつもりはなく、こんなことがあるということです。

カウンセリングのケースから

1.介護の後に欝状態になり、カウンセリングが必要になった娘

 C子さん( 55 歳)は、 34 歳の時離婚し、実家の両親の家で同居していました。間もなく、タイピストをして働いている職場で、結婚したいと思う男性に巡り会いました。彼の親がC子さんが再婚であることで反対。そのうちに妊娠、でも「またできるから」という男性の強い要望で妊娠中絶しました。

 そんな折、実父が脳溢血で倒れて入退院を繰り返し、母親の懇願で結婚は諦めることにし、職場からも身を引きました。

 父親は6年後に他界、直後母親の言動がおかしく依存的になり、彼女が当然のように世話をすることになりました。以後 13 年、父親の介護援助を含め 19 年間の家族介護を続けましたが、昨年母親も亡くなりました。

 介護していた時「神様がこの私を試されている」思いで、宗教というものではないが信仰心のようなもので、かろうじて自分が支えられたといいます。他人に「支援」を頼むとか、助けてとは言えないまま、一人で抱えて当然だと思い込んでいました。愛情より義務感でやり抜いた日々だったのでした。隣近所の人に見られている、母をないがしろにしてはいけない、自分の息抜きを求めるのはわがままだ、などがどんなに息苦しかったかわかったのはカウンセリングのなかででした。

 ところが、急激な喪失感で「生きている実感」がなくなり、よく起こる対象喪失が異常にひどく、立ち直れず欝状態に陥ってしまいました。投薬医療を受けながら「自分の人生」を生き直す道をさがして、私と出会いました。

 彼女の人生の 19 年間という時間「いい娘」でいることだけが支えだったのでした。母親の死には涙が出なかったし、その泣かない自分も嫌で責めると言うのです。カウンセリングのはじめの頃は「子供でもいれば」としきりに、産めなかった子供のことを悔いていました。もっと自分が強かったら、周囲がいくら反対しても産んでいたら、いまの孤独感がないだろうと嘆くのでした。孤独からの自殺願望も時々口にしました。しかし、カウンセリングで自分にとっても「母との共同の人生」という貴重な時間を生きた経験を、自分の人生に必要だったと感じることになり、この経過を肯定的に生かす仕事をする気になってきて、ヘルパーの講習を受けることに決めて、再出発が始まりました。

2.夫介護で「ピタピタ」たたいたD子さん( 64 歳)

 公務員だった夫が定年退職したが、仕事以外に趣味も関心もなく、妻の強引な買い物の誘いで外出するくらいしか、社会との接点もなかった。テレビを見るだけの生活になってしまった。なにもしなくとも、妻が身の回りのことをするのが当たり前だという古い考えでもあった。D子さんも家庭役割の家事を夫に頼めない、古い意識に縛られていた。

 腎臓が弱って、2週間入院後の夫は足元が危うくなっていて、その急激な老化に彼女はびっくりした。リハビリの必要を感じて、彼女がウォーキングに誘っても行きたがらなくて、足の老化は徐々に進んでしまった。寒さの峠のころ、インフェルエンザに罹り家でまた2週間ほど寝ていると、一層足の老化が進み、ほとんど寝たきりになってしまった。食の細い人だったから、寝てばかりいるとよけい食べられなくなった。こうして気がついたら、彼女が知らないうちに介護の日々が始まっていた。

 「私の言う通りにしていれば、こんなに早く寝たきりにならないのに」と彼女は自我の強い夫が憎らしくなることがしばしばだった。性格のせいと割り切ろうと思うが、便器をいやがりトイレに行くと言う。ひどい時には夜も 10 回以上起こされ、トイレまで肩を貸さなければならないこともあった。夫は昼間はグーグー寝ている。D子さんは昼もゆっくり寝るわけにもいかないので、睡眠不足と疲れで苛立っていく。妻の疲れに思い遣ることもない夫にぶつけようのない怒りを感じた。

 だが病の夫に怒りを感じるのは悪い妻だと、その怒りは抑え込むのだった。行き所のない気持ちがたまると、彼女は夫の腿をたたいていた。はじめは軽い気持ちでピタピタとたたいていたが、ときには、真剣にたたいていることもあった。介護6年、彼女自身は病気もせず、夫は亡くなった。

 夫の死後、馬のお尻をたたくという変な夢を見て、その音が聞き慣れた夫をたたく音だったことに怖くなった。また、隣家の車のアイドリングの音も、道を歩いている人の靴音も、彼女には夫をたたいた音に聞こえるという幻聴に見舞われはじめた。それは自分が気が狂っていくのではないかという不安に進み、カウンセリングを受けることになった。

 D子さんには夫をいじめたり、虐待になるという認識がまったくなかった。恐らく虐待などといわれたら、もっと症状がひどくなってしまう危険さえあった。「軽くピタピタたたいていた」だけだという。だが、介護での虐待はされる側だけでなく、する側も被害者になっているという複雑さがあるのではないだろうか。

3.「 嫁はつらいよ」のE子さんの例

 首都圏近郊の自営業の夫に請われ、途中同居した義母は、 80 歳を過ぎるころから老人性妄想がひどくなりました。「悪い手癖の嫁」「米を実家に持っていく」「財布を隠されてしまったから、千円貸してくれ」などと言い、近所から借金まですることもあった。近所の人は、E子さんに「お婆ちゃんお年のせいでしょ。あまり気になさらないで」と気遣ってくれるのですが、でもどんどん落ち込んでいくのでした。

 老人の「嫁が盗む」話はよくあることだと、思い直そうと立ち直ったり、でも世間では私のことを本当に悪い嫁だと思っているのではないかと、気分が揺れ続け、気が安まらない日が続いた。この気持ちの持って行き場を求めて来談したのでした。

 E子さんの話のなかでも、周りの人に「いい嫁」と思われていたい願望の強さがありました。精一杯よかれと思うことをしていればしているほど、義母の言葉がつらく心にささるのでした。また人は知識として知っていても、自分が被害を受けると、とても落ち着いていられないものだいうのも真実な経験でしょう。

 E子さんにカウンセラーが必要であったと同時に、もしも老人自身に「話を聞いてあげる」人が必要なのではないかということでもあります。まだ、身体の世話でも行き届かない例も多く、とても気持ちのケアまでは十分という段階はほど遠いのですが、もしも隣近所の関係でなく、老人のデイケアセンターなどで、「なんでも話せて、聞いてくれる人」がいたら、嫁の心労もなくなり、在宅の介護の負担が減るのではないかと考えさせられたことでした。

 カウンセリングの症例公表は依頼者の許可があってできるのですが、今回3人とも、自分はやったがとても苦しかったので誰にでもできることではないと思う。公表して役立ててもらいたいといわれました。

 娘、妻、嫁の立場の事例から、介護は女の悩みになりがちなことの現実がわかりました。しかし、家族は長い時系列でみる必要があります。人生の終わり部分で人が自立困難な時だけを切り取ると、このような実態が起こることもあるのです。そのように、人生を切り取ること自体が、人間(個人)主体でなく、効率優先の市場経済的視点であり、男性を家族から排除することになってしまっていると、私は考えます。

 その上家族の長い時間の中に起きる、人間としての支えあいの部分(含育児)に、男女の共同参加が求められてこそ、家族が人間的につながるのではないかと思うのです。惚けも寝たきりもゆっくりと進み、長い例が多く、社会的経済的な効率だけで測れない人間の生の営みです。性別役割でなく、男女共同参加は今後止まることのない流れにならざるを得ないところまできています。誰もが自分の問題となれば、介護が個人の負担にならない孤立しない道を切り開くことになるのではないでしょうか。

#3のキーワード 「女性の苦しみ、生き難さは『すべてジェンダー(社会文化的につくられた性)』から」

 

塚田:

清水さん、3回目の講義ありがとうございました。

私たちも、患者自身や家族の方から、財産のこと、家族関係や生き方についての相談を持ちかけられることも少なくありません。しかし、とみにお金の絡む件については医療が悪用されることがあり、患者情報の守秘義務と立場上全ての家族に公平であることに留意して、あまり立ち入ったことを伺ったり、無断でお話ししたりしないようにしています。清水さんは、こういった側面には仕事柄いろんなケースについて、ご存じかと思っていました。詳しいお話が伺えて期待通りでした。

Eさん: 私は7年前に義母を看取りました。介護は1年足らずでしたが、そこで、「当事者」とは、義母、夫、私の3人だったと、あの頃を振り返っているところです。清水さんの前回の講義で、福祉は文化/その道筋として介護の時代的背景の経過を興味深く学びました。

明治生まれの義母は当然のように、仕事を辞めて介護をしてくれるだろうと思っているし、夫もなぜ仕事にこだわっているのかと理解を示してくれない状態でした。介護する人とされる人は、 30 − 40 年の時代の流れに隔たりがあり、「介護」に対する意識が根本的に違っていることを、改めて感じました。また介護する人される人の、お互いの人生の通過点だということも痛感しました。

義母にとっては、残りの人生を有意義にと思っていたことでしょうし、夫は、早くに父を亡くして女手ひとつで育ててくれた母にやさしくしたいと思っていたようです(思いはあっても実際には手伝う方法を知らなかった)。そして、私にとっては介護のために仕事をあきらめることは出来ないと、3人とも自分の人生を真剣に考えていたことは確かだったのでした。

清水さんの講義で、このように社会的な背景が大きく介護の状況を作用していることを知りました。義母の介護に関しては後悔と反省の念が強かったのですが、当時の夫の言動にも私自身のことにも理解でき納得することが出来ました。

介護は私にとって、介護する側から介護される側に立ちつつあります。義母の立場に立つわけ でなんともいやはや…

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Last updated on 17 September 2001 by Michiko Takeda